2020-05-26 第201回国会 衆議院 総務委員会 第18号
今、コロナで新しい生活様式というものが求められておりますが、聴覚障害のある子供たち、児童生徒にとって、健常者の常識では、要するにマスクをつけて学校でもどこでも生活しましょうということになるんですが、聴覚障害の方の中には、口元を見て、口話法ですね、読唇術なんて言われるときもありますが、そういう口元を見て言葉を理解する方もいらっしゃるわけで、普通にマスクをしちゃうとコミュニケーションができなくなっちゃう
今、コロナで新しい生活様式というものが求められておりますが、聴覚障害のある子供たち、児童生徒にとって、健常者の常識では、要するにマスクをつけて学校でもどこでも生活しましょうということになるんですが、聴覚障害の方の中には、口元を見て、口話法ですね、読唇術なんて言われるときもありますが、そういう口元を見て言葉を理解する方もいらっしゃるわけで、普通にマスクをしちゃうとコミュニケーションができなくなっちゃう
手話の使用が禁じられていた時代の口話法教育から、手話を用いて教育へと変化してきたのです。手話による言語指導方法も確立されなければならないと私は思っています。視覚的に日本語の文法を指導するなど工夫もされていますが、手話での文法を指導する方法も開発されなければなりません。
○金森政府参考人 従来、聾学校におきましては、御指摘ございましたように、補聴器と話し言葉の活用による聴覚口話法を基本として指導が行われてまいりました。これは、聴覚障害のある子供が国語を修得し、社会に出て障害のない人とコミュニケーションを円滑に行えるようにするためのものでございます。
ただ、今まで、聴能訓練といいまして、聴覚口話法が主流でした。それは、聴覚障害者とか手話に関する社会的な差別とか偏見の影響で、聾とか難聴児を持つ親の皆さんが手話とか聾学校とかから逃げたいというような気持ちもあったからです。
その学校は、かつて口話法を厳粛に守っていた伝統のある学校でございましたけれども、今の新しい校長先生になられて四年目なんですけれども、手話を積極的に取り入れられるようになったと言われております。
それにもかかわらず、聾学校では音声日本語を活用する聴覚口話法によって授業がなされている。そのため、聾学校の生徒は授業の内容を十分に理解することがとても困難と感じており、学習進度の遅れ、学力の伸び悩み、大学進学率の低さ、就職職種の限定、聾児への心身発達の阻害、また聾児及び親への過重な負担、第一言語獲得の機会の喪失といった結果が生じている。これは実質的に聾児の教育を受ける権利の侵害である。
口話法、手話、口話法と手話の併用等、障害の程度や学習の到達度に応じてどのような方法が日本語習得及び科目習得における学習効果が高いのかについて客観的、実証的な比較研究をしていただきたいと思いますが、いかがでしょうか。
以前、私がこの共生社会に関する調査会で発言させていただいた聴覚障害を持った方々、聾学校に通われる方々、その方々もちょっと調べてみると、七十年ぐらい、少しでもあなた方は健常者に近づく方がいいだろうというような前提で聴覚口話法という教授法が取られてきた。
しかし、今、文部科学省が主導で聾学校で行われているものは、聞き、話すということに主眼を置いた聴覚口話法というのがメーンで教育がなされている。これは、先ほど後藤先生も反対をされましたけれども、根本の思想としては、聾の方々も健常者に近づいた方がよかろうという思いで限られた聴覚を何とか生かして口で話すという、こういう思いがあって、七十年間聴覚口話法が主になされてきたと。
そういう意味では、やはり聴覚口話法に手話を取りあえずジェスチャーとして付け加えるというんではなくて、本当に手話を第一言語として、彼らの使える言語としてマスターしてあげた上に、私たちの健常者とコミュニケーションできるかどうかと。そこに重きを置いて担当者も実際に決めていただいて、この特殊教育総合研究所で研究を進めていただきたいと。
これは歴史的な経過があって、大体のところが口話法ということでやっておられるんではないかというふうに思っています。 ただ、最近は手話を導入する学校が増えてまいります。奈良県の奈良県立ろう学校は手話を導入しています。幼稚部から手話で、生き生きとしたようなコミュニケーションを作って、子供たちがたくさん遊ぶと。
なぜかと申しますと、聞こえないままでいいという、あるいは聞こえなくても、それの前にまだ、例えば口話法、いわゆる読唇術でありますけれども、唇を読むものですね、そういったものを習っていて、自分は聞こえない世界に生きるかどうか、それは子どもの選択に任せればいいわけでありまして、親が勝手に、もうこれは耳が聞こえないんだからそのまますべて手話の世界だけで生きればいいんだというわけにはいかないと思うんですね。
ところが、意思の疎通はお互いに言葉で話し、目で見、そして耳で聞くのが一番よろしいかと思いますけれども、例えばそれを手話によるとかあるいは口話法を使うとか、あるいはその他さまざまな機器を使うことも可能ではないかというふうなことから、信頼は必ずしも一般的な信頼を確保する方法でなくてもいいのではないかというふうなことも議論をしたのであります。
それから口話法というのがありまして、口話法というのは、読唇術などとも言われておりますように、口の動きを読んで、それで相手の言わんとすることを理解する、そういうような方法もございます。さらにまた、身ぶりだけで簡単に意思を伝達するというようなこともあります。ただ、身ぶりとか、それからまた口話法ですと、余り長い話、複雑な話などは、これは理解ができないようなのです。
ただ、私どもとしては手話の重要性ということは十分考えておりまして、聾学校の幼稚部あるいは小学部におきましては日本語を言葉として身につけさせるということを主眼にして聴覚活用や読話、発言、発語による意思の疎通を図るいわゆる口話法によります教育法が行われておりますが、聾学校の中学部あるいは高等部におきましてはコミュニケーションを円滑に行うための手段の一つとして手話も用いられているところでございます。
こうした考え方から、聾学校におきましては日本語を言語として身につけさせることを主眼としまして、主として聴覚活用ですとか、説話、あるいは発言、発語による意思の疎通を図るいわゆる口話法による教育を行っているところでございます。
○説明員(鈴木宏君) 聾学校におきましては、言葉が耳から十分に入らないで言葉を身につけていない児童生徒に対しまして、日本語としての言葉を身につけさせることを主眼とする教育を行うことが必要であるということで、聾学校におきます言語の指導につきましては、残存する聴力の活用を目指した聴能訓練とか、あるいは音声言語による口話法による指導を中核として行われております。
(一) 般の教育課程に適応することが困難(二) 障害に応じた特別指導(点字学習、口話法等の指導、機能訓練など)を受けられない。 二、一般の子どもたちの教育に支障が生ずる恐れがある。(一) 四十人学級では、担任教員が、障害児の世話に追われ、一般児童の教育に支障が生ずる。(二) 教員及び一般児童の負担が増える。(善意の手助けのみを当てにできない。) 三、多額の財政負担を強いられる。
したがいまして、日本語をできるだけ理解させる、そのためにどうしても障害児の中でも残存の聴力を最大限に活用していく、そしてその聴力を利用しながら日本語の言葉というものはどういうものであるか、また日本語をしゃべるというために口話法を利用するというような形の基礎教育ということを、やはりこれは重視せざるを得ない、もっと徹底してやっていかなければならないということを基本的に思うわけでございます。
またさらに、聾唖学校におきましても、口話法によるんだということで教育方針が貫かれているようでありまして、手話がそういう聾唖学校においても教育の体系の中に取り入れられていない、そのような現状であると伺っておりますが、文部省の方、お見えだと思いますけれども、どういうお考えでそういうことになっているのか、まずお伺いしたいと思います。
それから先ほど申し上げましたように、最近では聾学校におきましても口話法とともに手話や指文字を併用するという教育形態がふえつつございますので、先生おっしゃいましたように手話が標準化された暁には、私どもといたしましては、文部省としてこれを前向きに検討し、必要に応じて教育委員会、学校等を指導してまいりたいというふうに考えております。
このため、現在、聾教育における言語の指導はこの残存する聴力の活用を目指す聴能訓練と音声言語による口話法、すなわち読話、発音、発語ということによる指導が主として行われております。特に近年は、補聴器の著しい進歩に伴いましてこれらの指導が一層その教育効果を上げているような状況でございます。
私たち番組をつくるに当たりましては、いま申し上げましたような手話あるいは口話法、それから字幕スーパーという三つの組み合わせでこれからも考えていきたいと思いますし、ひとつその辺は御理解をいただきたいというふうに思っております。
その日本語を身につけさせるというところが学校教育でございますので、やはりそれの最も有力な、最も教育方法として確立されておるのが口話法でございまして、やはり口話法というものは中核になると思います。
○説明員(久保庭信一君) 聾学校での教育は、口話法を中心として従来行ってきております。これは先生もよく御承知なわけですが、ただしそのために手話を全く排除しておるということではございません。
○前島英三郎君 もちろん口話法を否定しているわけじゃないわけですが、実際社会に出ると、ぼくは口話というようなものはそんなに役に立たないと思うんですね。コミュニケーションの場といいますが、口話でもって、人聞くちびるから言葉を読み取るなんというのは、これはもう至難のわざですよ。
○安嶋政府委員 私も、この関係につきまして特に知識があるというわけではございませんが、聾学校長会等の全体の考え方といたしましては、やはり口話法を主体とすべきであるという考え方であるというふうに伺っております。
○安嶋政府委員 積極的に検討さしていただきたいと思いますが、ただ、口話法による教育というのは、先ほど来申し上げておりますように大正以来の伝統でもございますし、また、教育界でもやはりそれが定説になっているように私は承知いたしております。ですから、これを変えるというのは、やはり相当慎重な討議を経てからにすべきだと思います。
○安嶋政府委員 先生も御承知かと思いますが、口話法というコミュニケーションの方式でございますが、聾教育は明治以来百年に近い伝統があるわけでございます。その歴史の変遷の中におきまして、大正の末期から口話方式の聾教育が取り上げられてきたということでございます。これは先生もよく御承知かと思います。